台湾で神様になった日本人。

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昨日に引き続き、「台湾文化センター」の朱センター長から伺ったエピソードを紹介したいと思います。

海外から見た日本を知ることで、改めて、日本人としての誇りを持つことができます。

台湾から日本に帰化された黄文雄先生の『台湾は日本の植民地ではなかった』 (WAC BUNKO)『日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか』 (徳間文庫)に多少紹介されています。

横浜から台湾に1897年に赴任した、森川清治郎巡査は、台湾では神様として崇められています。

森川巡査は、台湾では「義愛公」の名で知られています。

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(森川巡査像〔義愛公像〕)

台湾では、日本の警察官が神様として祀られているお寺(廟)があります。

義愛公が祀られる廟thCAP97KEZ

当時は、警察官も税金を取り立てていました。

この警察官(森川巡査)が担当した村(副瀬村)は大変貧しかったので、森川は、村民がかわいそうで取り立てませんでした。

そのために、懲戒処分になります。

その警察官(森川巡査)は、村民の気持ちを考えて自殺をします。

森川の死後(1923年)、副瀬村付近でコレラ脳炎等の疫病が流行ります。

その時に、村長の夢に、制服姿で夢枕に立ち、疫病への対応の方法を告げます。

それは的確なアドバイスで、「環境衛生に心がけ、飲食に注意し、生水、生ものを口にしないこと」というような内容でした。

村民がそのお告げを守ったところ、副瀬村は疫病を免れることができました。

副瀬村では、そのお告げは、あの時の警察官だ、ということで、「義愛公」の名で神様として祀られます。

このお話には、さらに続きがあります。

それから75年が過ぎた、1999年、義愛公から「横浜に帰りたい」というお告げがあります。

そのお告げを受けて、台湾から40人が御神体と共に、来日。横浜に里帰りしました。(ここまでやるのはすごい!よほど尊敬されていたことが分かります)

当時は、神奈川県警で不祥事が相次いでいた年でした。

横浜出身の警察官で、神様になっている先輩がいることを知ることになりました。

一時のエピソードではなく、神様となり、戦後数十年が過ぎても義愛公は愛され、尊敬され続けていることが分かるエピソードです。

朱センター長が仰るに、日本平は厳しかったが、決して汚職はなかった。しかし、日本の後に台湾に入ってきた国民党は同じ厳しさでも汚職が酷く、正義を感じられなかった。そのため、「日本統治の時はよかった」と心から思っている台湾人が多いと、伺いました。

その他にも、台南市でも神様として祀られている日本人がいます。

飛虎将軍廟と呼ばれています。日本のパイロット杉浦茂峰少尉が祀られています。

飛虎将軍廟thCALK4ODD

杉浦少尉thCA8Y41UP

台湾に墜落するときに、市街地が戦禍にならないように避けて、戦死しました。

今でも、飛虎将軍廟として、線香の代わりにタバコに火を点し、毎朝「君が代」が流れ、午後には「海ゆかば」を流しています。

すごい、日本よりも日本らしいですね。

朱センター長は、台湾には日本人にまつわる、心温まるエピソードがまだまだたくさんあると仰っていました。

私は、親せきが台湾で暮らしています。

私にとって台湾の問題は、家族の問題でもあります。

今後、日本と台湾との益々の友好と、繁栄のために、力を尽くしてまいりたいと、決意を新たにしました。

台湾文化センターの表敬訪問の後、朱センター長御用達の台湾料理店「新台北新橋店」は超おススメです。純粋な台湾料理を堪能できます。
小龍包s_00n3
(大好きな小龍包。手作りなので、肉汁たっぷりで最高でした)

幸福実現党 小島一郎

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