8.6広島平和記念日。広島への原爆投下は実験だった。

宇都宮の総本山未来館で行われた「宗教立国実現!総決起大会」研修の様子。私も参加。

8月6日は、広島平和記念日です。1945年に広島に原爆が投下された日。

原爆死没者慰霊碑の石室前面には、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれています。

主語のない曖昧な文章は、一体誰のことを指しているのか。

過ちを犯したのは誰なのか。

アメリカ人か、日本人なのか。

記念碑に込められた念いや戦後の教育内容からすれば、「日本人が悪い」ことになっています。

米軍による原爆の投下によって30万人の日本人が無差別に虐殺されたことは紛れもない事実です。

しかも『原爆を投下するまで日本を降伏させるな――トルーマンとバーンズの陰謀』
にもあるように、広島への原爆投下は実験として行われました。

「広島平和記念日(8.6)」

というブログがありましたので、一部紹介したいと思います。

(転載始め)

昭和20年8月6日午前8時15分17秒、「エノラ・ゲイ(ENOLA GAY)」という名前のアメリカ軍B29戦闘機が原爆「リトル・ボーイ」を投下。

まもなく高度580mで炸裂したこの原爆はこの一瞬の爆発で30万人の民間人の生命を奪いました。

アメリカの原爆開発プロジェクトは「マンハッタン計画(Manhattan Project)」の名前で知られています。

この計画の提案者は他でもないアインシュタインです。

1939年8月2日、アルバート・アインシュタインとレオ・シラードは最近物理学の分野で「核分裂」というものが発見され、この現象を使うともの凄い破壊力を持つ兵器を作ることが可能であり、ドイツがこの兵器の開発を進めている可能性があることをアメリカ大統領宛の手紙で指摘し、ドイツに先んじてアメリカがこれを開発すべきだと主張しました。

この動きはアメリカ国内の科学者の間で広がり、アメリカ政府も動き始めます。

数々の準備を経て、やがて1942年8月13日、原爆を製造するためのマンハッタン計画がスタートしました。

その責任者に選ばれたのは後に「原爆の父」というありがたくない名前をもらうことになるロバート・オッペンハイマー(JuliusRobert Oppenheimer, 1904.4.22 NewYorkCity – 1967.02.18)でした。

プロジェクトはニューメキシコのロス・アラモスの研究施設に大勢の科学者を半ば缶詰状態にして進められました。

同年12月にはフェルミらが核分裂が連鎖反応を起こすことを確認、翌年からウランの本格的製造も始まります。

そして1945年の春頃には、夏頃までに原爆が製造できる見込みが立ちました。

当初計画はナチスドイツに対抗するために進められました。

しかし計画が進行する内にドイツが降伏してしまったため、そのターゲットはまだ戦い続けている日本に変更されてしまいました。

そして1945年7月16日、世界初の原子爆弾がニューメキシコのアラゴモードで実験的に爆発させられました。

当時これに立ち会った兵士らは核の恐ろしさを知らなかったため、「景気のいい花火だ」くらいに思って見ていました。無論彼らはしっかり被爆していましたが、それが明らかになったのは何年も後のことです。

計画を推進してきた科学者らは、この原爆の最初の実験を見て肝をつぶします。

これほど強力な物であったとは思いもよらなかったのです。

彼らは連名でこの計画の中止を大統領に訴え出ますが、トルーマン大統領は拒否。彼らはさらに署名を集めますが、軍に妨害されてしまいます。

そして計画は行くところまで進行してしまいました。

このアラゴモードでの実験が行われたその日の内に、日本に投下する予定の原爆は巡洋艦インディアナ・ポリスに積み込まれ、日本への攻撃基地のあるテニアン島へ輸送されました。

このインディアナ・ボリスは皮肉なことに荷物を送り届けて本国へ帰る途中、日本の潜水艦に撃沈されてしまいます。

原爆投下目標地点は広島・小倉・長崎・新潟の順に優先することが決定されました。当初京都も目標に入っていたのですが、スチムソン陸軍長官が反対したため外されました。

これらの目標都市は原爆の破壊力がはっきり分かるよう、通常の空襲は行わなずに町並みを温存しておくことが決定されていました。

そして8月6日午前2時45分、エノラ・ゲイはテニアン島を離陸します。

目標は当初の予定通り第一ターゲットの広島と決定されました。

午前8時すぎに広島上空に到達。

8時15分17秒原子爆弾を投下しました。

この広島への原爆投下は「実験」の色合いが非常に濃いものでした。

町並みの破壊の程度を確認するために空襲をかけずに温存したことは今述べましたが、その他、アメリカは後に日本に進駐して来た段階で、広島市の生存者の健康診断を行うとともにそれと本来似た分布を示すと考えられた近隣の呉市の住民の健康診断も行っています。

広島の原爆の死者は当初1万5千人と発表されました。

しかし年を追うごとにその数字は増え続け、現在では15~20万人程度と推定されています。

ただしこの人数はあくまで原爆によりすぐに死んだ人の数であり、その後放射能障害で死んだ人を含めると30万人以上に上るものと思われます。

原爆が落とされた時、広島は50年は人が近づけない町になるのではないかと言われました。

しかし偉大な自然はその強い放射能をも浄化して大都市を復興させてくれました。

今、爆心地にたたずむ原爆ドームにはなぜか静かな空気が流れています。

(転載終わり)

これを読んで、「日本人が悪かった」と言えるでしょうか。

誰が考えても、30万人もの老若男女を無差別に殺すことが正当化されるはずはありません。

悪いのは、原爆を投下した米軍であり、最終判断をした当時の大統領です。

原爆投下について広島市民は全く悪くなく、罪はゼロです。

2011年8月6日(土)、幸福実現党広島県本部にて、『鎮魂、そして平和への決断』の集い を開催いたします。

広島への原爆投下によって亡くなられた方の魂を供養する第一部「鎮魂」

そして、8月6日広島だからこそ考える本当の平和について。第二部「平和への決断」パネルトーク

憲法9条では平和は守れない。

平和はつくるものであって、何もしないことが平和論ではない。

自虐史観教育、ゆとり教育など、日本三大日教組と言われる広島の日教組によって

戦後の教育はダメになってきました。

これでは子どもの未来を守ることができません。

(つづく)

幸福実現党 小島一郎

幸福の科学未来館にて。黒川政調会長(左)、日高じゅんこ広島3区支部長と共に。

コメント “8.6広島平和記念日。広島への原爆投下は実験だった。”

  1. うし

    読ませていただきました。
    この期に及んで、「日本人が悪いのか」「アメリカ人が悪いのか」という論点でしか物事を判断していない内容に、疑問を覚えます。
    歴史的な事実を知った上で、わたしたちの世代がしていくべきことは、責任の追及ではないのではないかと。
    戦後70年経とうとしているのに、まだそんなところに居たのでは、亡くなった魂に失礼ではないですか。

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