トルコ東部地震への救援は最大限の感謝を形に。

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トルコ東部ワン近郊で10月23日にあったマグニチュード(M)7.2の地震で、被災地を視察したシャヒン内相は24日未明、少なくとも200人が死亡、1千人が負傷したと明らかにしました。

崩壊した建物の下敷きになっている住民もおり、犠牲者はさらに増える見通しと報道されています。

そのような中で、日本のNGO団体が、「トルコに恩返しを!」と、いち早く救援に立ち上がっています。

読売新聞の記事「トルコに恩返しを…NGOスタッフが被災地へ」を紹介します。

(転載始め)

東日本大震災の被災地にさまざまな支援を続けてきたトルコの東部を23日襲ったマグニチュード7・2の地震。現地では倒壊した建物内にまだ多くの人が取り残されており、犠牲者はさらに増えそうだとの情報に、在日トルコ人たちは故郷の親類や知人の安否を気遣った。

 東北の被災地からも心配する声が上がり、国際NGOは医療スタッフを現地に派遣することを決めた。

 トルコ大使館(東京都渋谷区)には、23日の地震発生直後から、日本国内のトルコ人から「現地の家族と連絡を取りたいが電話がつながらない」「詳しい被害状況を教えてほしい」という電話が相次いだ。

 同大使館では、22日に東日本大震災の被災地を支援しようと手工芸品のチャリティーバザーが開かれたばかり。大使館が7月にトルコ国内の各県に協力を呼びかけたところ、被災地のワン県からは真っ先に、平織りのカーペットと銀細工が届けられたという。

 東京・赤坂のトルコ料理店「アセナ」では24日午前、マネジャーのブーチン・オズダマーラーさん(33)が「1人でも多くの人に助かってほしい」と心配そうに地震被害を伝えるテレビニュースを見ていた。

同店では、東日本大震災を支援するための食事会を開き、売り上げの一部を寄付してきた。

オーナーシェフのレベント・トランさん(47)は、「日本の被災者はあれだけの被害が出ても、心を一つにして立ち向かっている。トルコの人たちも頑張ってもらいたい」と話した。

 外務省によると、東日本大震災ではトルコ政府が支援・救助隊を派遣し、3月20日から4月8日にかけて32人が宮城県利府町を拠点に、石巻市雄勝町や七ヶ浜町などで行方不明者の捜索などにあたった。

同市秘書広報課の佐藤義則さん(55)は「トルコの方々に恩返ししたい。すぐにでも現地に救援に行きたいが、まだ私たちも支援を受けている状態なので……」と、もどかしそうに語った。

 国際医療NGO「AMDA(アムダ)」(岡山市)は、24日夜の航空機で医師ら3人の先遣隊を現地に派遣することを決めた。東日本大震災では、宮城県南三陸町で活動していたアムダの拠点に、在日トルコ人の民間団体から飲料水2・5トンの提供を受けた。アムダ職員の成沢貴子さんは、「水不足の時に助けてもらった恩返しの気持ちも込め、一刻も早く現地で活動を始めたい」と話した。

(転載終わり)

「東日本大震災の恩返しをしたい」という気持ちが強く現れている記事でした。

トルコと日本の関係はさらに深く、歴史が長い。

トルコと日本の恩返し関係は、121年前まで遡ります。

私のブログでも以前、記事にしたことがありますので、紹介します。

「トルコから和歌山へ―121年分の恩返し。」

(転載始め)

121年前の恩返しが、和歌山県の復興を後押しする。

1890年(明23)に同県串本町沖でトルコ船「エルトゥールル」が沈没し、地元住民に救助されて以来、トルコは日本との友好関係を継続。

台風12号による紀伊半島豪雨を受け、都内のトルコ寺院を救援物資の集積所として提供している。

トルコ大使館は、今後の人的・物的支援を予定。

東京・六本木のトルコ料理店は、和歌山県内の被災地で出店する意向を示すなど、支援の輪が広がり始めている。

トルコ寺院「東京ジャーミイ・トルコ文化センター」の地下室には、下着や衣類、紙オムツ、即席ラーメンが入った段ボールが積まれていた。

台風12号の被災地は、個人からの少量の支援物資を受け付けていないため、全国からの小口荷物をいったん、同寺院に集積。

大口荷物にして、第1便の4トントラックを13日に和歌山県庁に送った。

20日にも第2便が和歌山に向かう予定。

支援活動の担当者は「トルコと縁の深い串本町は、比較的被害が少ないため、和歌山県庁で状況に応じた配分をしてもらうつもり」と話した。

トルコと日本の絆は、121年もつながっている。

初のトルコ使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号は、1890年6月に横浜港に到着。

同9月にトルコに向かって出港したが、台風による荒天で和歌山県串本町沖の紀伊大島で座礁、沈没。

乗組員約600人が死亡する大惨事になったが、島民の献身的な活動で約70人を救助。

手厚く看護し、日本の船でトルコへ送った。

トルコはこの恩義を忘れず、今回の紀伊半島豪雨でも、串本町を含めた和歌山県の支援に乗りだした。

トルコ大使館文化広報参事官室の大森正光氏(33)は「困った時に助け合うのが、真の友。トルコも自然災害が多く、共感する気持ちがある。今後は物資だけでなく、人的支援も含めて継続的に和歌山県をサポートしたい」と話した。

1985年(昭60)のイラン・イラク戦争では、トルコ政府が日本人救出のための特別機を飛ばし、イランからトルコへの脱出をアシスト。

99年のトルコ北西部地震では、日本がいち早く救援隊を送るなど、相互救助の歴史を積み重ねている。

東京・六本木のトルコ料理店「デニズ」は、要請があれば、被災地で出店する意向を持っている。

店員のトルコ人カヤ・ハリルさん(34)は「出店でも何でも、力になれることがあれば手伝いたい。トルコ料理はおいしいし、日本人の口に合うと思う」と話し、地元の肉料理「ケバブ」を勧めた。

両国の相思相愛の関係は、復興支援という具体的な形になろうとしている。

(転載終わり)

121年前に日本人が救った70人のトルコ人の感謝が今でも生きています。

トルコ人は東日本大震災、和歌山県集中豪雨で迅速かつ手厚い活動活動をしてくれました。

感謝は救援活動として形になり、また次の感謝(日本⇒トルコへ)となることでしょう。とブログでは書きましたが、今がその時です。

今度は日本がトルコへ恩返し外交をする番です。

国際医療NGO「AMDA(アムダ)」(岡山市)は、支援を決定しました。

日本人として誇らしいことです。

日本の外務省は、121年前から感謝でつながっているトルコへの救援活動については、先手先手で準備を行なっていただきたい。

日本からは本日、「野田首相よりお見舞いのメッセージ」を送り、可能な限りの支援を表明しておりますが、

トルコから言われるのを待つのではなく、自主的、主体的に決定しスピーディーに動いてくださいますように、切に願います。

幸福実現党 小島一郎

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